戦国の記憶とともに ― 西条市民納涼花火大会 ―
LOVE SAIJO 編集部 2025年8月13日

先月26日に盛大に開催された「にゅうがわ花火大会」。
編集担当も自宅からゆったり観賞しましたが、フィナーレの花火連発が豪華でしたね!
そして8月17日(日)には、「西条市民納涼花火大会」が開催されます。
この花火大会の始まりは定かではありませんが、少なくとも100年以上前の記録は確認できる伝統的な花火大会です。
もしかすると、花火大会をはじめた人々の想いは“約400年前の出来事”に向けられていたのかもしれません。
400年前といえば、戦国時代の終わりから江戸時代のはじまりの頃。
「えっ!そんなに昔の出来事と関係があるの?」と驚きましたか?
今回は、西条市の歴史を紐解いてみましょう。
時は戦国、そのとき西条は――
1585年(天正13年)、時は戦国時代の終盤。
本能寺の変から約3年が経過し、羽柴(豊臣)秀吉が天下統一を進めていた時代です。
四国を統一していた長宗我部元親は、秀吉と対立していました。
秀吉は四国平定のため、約10万人の大軍を四国に送り込みます。【四国攻め】
瀬戸内海を渡ってきた軍勢、その数3万!
秀吉から伊予の攻略を命じられた毛利輝元は、小早川隆景と吉川元長を伊予へ派遣。小早川隆景が率いる約3万人の軍勢が、瀬戸内海を渡って東予地方に侵攻してきました。
これに対し、新居郡・宇摩郡の2郡(現在の西条市東部~四国中央市のあたり)が連合した郷土軍は徹底抗戦を決意。高尾城(西条市氷見)を拠点として、中国勢と戦います。【天正の陣】
同年7月12日、高尾城攻めがはじまりました。
このとき、高尾城内の人員はわずか2千人程度だったと言われています。
野々市原(西条市野々市)を主戦場とした総決戦により、郷土軍の総大将・金子備後守元宅(金子城主/新居浜市)をはじめ、約600人の郷土の兵が討死したと伝えられています。激烈な攻防の末、7月17日に高尾城は陥落しました。
禎祥寺の僧・林瑞もこの戦いで命を落としています。
高尾城の攻防は、「天正の陣」のなかで最激戦の一つでした。
小早川隆景は戦死者を手厚く葬ったと伝えられており、現在も「千人塚」と呼ばれる塚が野々市に残っています。
戦後、小早川隆景には伊予一国が与えられました。
そして、時は現代へ――
市民納涼花火大会の花火に、400年前の戦で命を落とした人々への慰霊の想いを込める人も少なくありません。
西条の歴史を知ってから見る花火は、これまでとは少し違って見えるかもしれませんね。
今年も8月17日(日)に市民納涼花火大会が開催されます。
代々受け継がれてきた歴史と、花火大会の伝統を、これからもみんなで後世に残していきましょう。
■今年の市民納涼花火大会の詳細は【こちら】

▼関連記事:8/17の花火の正体は? 禎祥寺観音堂を囲む地域の思い(2020年8月31日)
▼主催者:西条市観光物産協会
「水めぐりツアー」や「瓶ヶ森フラワーウォッチングツアー」など、地域に密着した観光ツアーを実施しています。
ぜひHPを覗いてみてください!
▼来年の「NHK大河ドラマ」は戦国時代が舞台!
来年2026年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、西条市出身の俳優・松本怜生さんが石田三成を演じます。
松本怜生さんを一緒に応援しましょう!
https://www.nhk.jp/g/blog/rwqtv1vrnlp/
<参考文献>
久門範政 編『西條市誌』更訂再刊、西條市役所、昭和43年6月30日、pp.110–116。