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「伝統校として。時代を越えた二人の共通点」 ~西条高校編~【前編】

春6回、夏6回の甲子園出場経験があり、1959年には夏の甲子園で全国優勝を飾っている西条高校野球部。県内屈指の強豪校として、昔から変わらない「SAIJO」とあしらわれた伝統のユニフォームに袖を通した高校球児の目標は甲子園です。こうしたなか、激戦の県大会、四国大会を勝ち抜き、4番ショートとして春のセンバツに出場した宮竹和之みやたけかずゆきさん(1989年世代)、そして投手三本柱の一角として同じく春のセンバツに出場した宮﨑貴大みやざきたかひろさん(2005年世代)に当時のエピソードなどのお話をお伺いしました。

左 宮竹和之さん(1989年世代) 右 宮﨑貴大さん(2005年世代)

#入学のきっかけや監督について

—— お二人のご出身はどこですか

宮竹 西条市飯岡出身です

 

宮﨑 西条市玉津出身です

—— 同じ西条東中学校出身ですね    

 

—— 西条高校に進学を決めたきっかけを教えてください

宮竹 中学生のとき、4つ上の先輩がセンバツに出場した際、甲子園まで中学時代の同級生達と見に行きました。(ベスト8まで進出)そこで、「野球をやるなら西条高校でやりたい」と思うようになりました。中学時代は軟式野球部に所属していて、新居浜、西条の軟式野球チームの有力な選手が西条に集まるという情報があったのも入学のきっかけです。

 

宮﨑 中学校では軟式野球部に入っていました。野球を始めたときから高校で野球をするなら西条高校だろうと思っていました。そして西条高校に入って野球をする以外の選択肢はそもそもなかったです。

 

—— 何科に入学しましたか?勉強との両立は大変でしたか

宮竹 普通科で入学しました。当時は、勉強に関しては今より寛容なところもありましたから、正直文武両道とはいえなかったですが、友達と協力しながら切り抜けることができました。

 

宮﨑 同じく普通科です。入学前の春休みから課題が出て、「これは大変だ」と思いました。

入学後も両立は難しく、勉強についていくのに必死で、遠征先に宿題などを持って行って、同級生と勉強したような思い出もあります。

 

—— チームメイトについて

宮竹 個性的な感じの子が多かったですが、当時のキャプテン曽我部の存在が大きかったです。彼のリーダーシップのもと、チームメイトが一つにまとまっていました。チームメイトは闘志を全面に出すよりも、どちらかというと内に秘めるタイプが多かったと思います。当然個人の成績も大事だがチームのために何をやるべきかを分かっている、それを実行できる選手が多かったので、まとまったチームができあがったと思います。

宮竹さん

 

宮﨑 玉津、西条東中で一緒だったキャプテンの越智竜一のリーダーシップのもと、全体としてはチームワークが良く、仲が良くてまとまりがあったと思います。個人で飛びぬけた選手はそんなにいなかったですが、同じようなベクトルと熱量で野球に向かい合うことができました。

宮﨑さん

—— お世話になった監督さんはどなたでしたか

宮竹 森田始もりたはじめ監督でした。

 

宮﨑 八木俊博やぎとしひろ監督でした。

 

—— どういった監督でしたか 

宮竹 今では学校の先生が監督なのが普通ですが、いわゆる職業監督でした。よく怒られて非常に怖くて、褒めてもらったこともなかったです。昔ながらの練習で厳しく、根性論でしたね。ただ、試合中は、ベンチにいてくれるだけで安心感があり、試合に集中できました。公式戦の一発勝負で、競り合った試合とかでも全く動じることもなく、あまり多くの言葉を発することもなかったですが、相手の組み立てを冷静に分析して采配を振るってくれました。

 

宮﨑 八木さんは今治西高校出身の方で、西条高校OB以外の監督は初めてでした。上下関係もある程度必要だけれども、不必要なものは直そうと。「高校球児である前に高校生であれ」ということで、「私生活、野球と勉強の三角柱を大切にしなさい」と言われました。練習自体はもちろんしんどいですけど、練習の量とかよりも、質を上げる、考える野球をしなさいと。野球では練習試合、公式戦もやることは一緒。そのための心の準備を練習試合で培うことを大事にしていました。

 

 

#甲子園へ。激戦の秋の県大会、四国大会

—— ターニングポイントとなった試合はどこでしたか

宮竹 どちらかというと、県大会のほうが競った試合が多かったですね。白石、曽我部の継投で勝ち上がっていきました。ヤマは県大会準決勝の松山商業戦でした。前の夏の大会で、同じく準決勝で松商に負けていて、エースと4番も主力で残っていました。そこに逆転で勝てたのが大きかったですね。この試合を乗り越えることができたので、気運を高めて、決勝の宇和島東(前年春センバツで全国優勝)を破って、そして四国大会に臨めることができました。

懐かしい松山市営球場のスコアボード ライバル松商をリード (1989年世代)

宮竹さん世代の愛媛大会の勝ち上がり(県大会から)

〇1回戦  西条11―2中山 (7回コールド)

〇準々決勝 西条3-2北条

〇準決勝  西条6-4松山商

〇決勝   西条7-5宇和島東 (延長11回)

 

宮﨑 同じく県大会準決勝の済美戦でした。この年は台風被害(※平成16年災害)が多く、練習ができない時期がありました。競った試合が多くどうにか勝っていった印象です。僕は肩を痛めていて登板の機会はありませんでした。相手の済美が昨年の春のセンバツで全国優勝していて、ピッチャーの福井(現:楽天)やキャッチャーなど主力の選手が残っていました。しんどい試合でしたが、先取点をとって、戸田、津島の継投で、そのまま流れに乗って勝つことができました。済美に勝ち切ってようやく甲子園を目指せる、そんな実感があった試合でした。

宮﨑さん世代の愛媛大会の勝ち上がり(県大会から)

〇1回戦  西条4―2大洲 

〇準々決勝 西条4-1宇和島東

〇準決勝  西条5-3済美

決勝   西条7-4新田 

 

 —— ちなみに当時の各県の四国大会出場枠は何校でしたか

宮竹 準決勝で負けると四国大会に出場できませんでした。(決勝進出の2校)

 

宮﨑 3位校まで四国大会に出場できたため、済美が3位校になりました(汗)。

 

—— 四国大会はどちらでしたか

宮竹 宮﨑 高知県の春野球場でした

 

—— 四国大会で甲子園をほぼ手中にした瞬間はどうでしたか

宮竹 当時センバツの枠は四国で3校でした。愛媛代表は西条と宇和島東。前年センバツ優勝校の宇和島東が優勝旗を持っていて、同じ順位では向こうが有利なのかなと勝手な思い込みがあったので、上の2つ(決勝進出)には入りたかったですね。四国大会は、攻撃では先制、中押し、ダメ押しという、野球の展開として理想的に進めることができました。

準決勝の小松島西に勝った瞬間は幼少期から憧れの舞台に立つことができる、現実的におこったのだから、まさかという感じでした。決勝も尽誠学園を下し、優勝することができました。

宮竹さん世代の四国大会の勝ち上がり

〇1回戦 西条5―2三本松

〇準決勝 西条2―0小松島西 

決勝  西条6―4尽誠学園

 

宮﨑 僕の時代は今と同じ中四国で5枠でした。なので、確実に選ばれるには、決勝までという意識がありました。ましてや準決勝の相手は再度済美でしたしね。四国大会はわりと雨が続いて、練習場が済美とかぶるなど、とても嫌でした。この時期には練習がルーティン化していて、月曜から次の相手の情報をもとにマシーンを設定し、対策して試合に臨む。(※秋の大会は試合が土日)勝ち上がるにつれて自分たちの理想のゲーム展開に持って行けるようになりました。そのなかで、済美戦5分5分のイメージくらいまでもっていけた。試合では終盤1点勝っていましたが、追いつかれました。なかなか福井相手に点を取るのは出会い頭での一発じゃないとしんどいなと思っていたら、川中君が決勝打、最後、津島が抑えてと奇跡的な試合でした。勝った瞬間は甲子園に行けるというのはあまり現実というものに捉えられなかったです。宿舎に帰って甲子園だなあという話をした記憶がありますね。

宮﨑さん世代の四国大会勝ち上がり

〇1回戦 西条15―1土佐 (7回コールド)

〇準決勝 西条4―3済美 (延長11回)

●決勝  西条4―7新田

 

—— 1月正式に甲子園にセンバツ招待された瞬間やまちの様子は(市民からの祝福の声)どうでしたか

 

宮竹 自分たちも選ばれると思っていたが1月の正式発表までは分からないで、よくテレビに映る校長先生が電話を受けて、グランドに来て、帽子を投げる恒例の行事。それが行われた瞬間に選ばれたんだなという実感がわいてきました。

 

宮﨑 全体的に校内もざわつきがあって、メディアの方も来ていて、一つのくぎりという実感でした。

大手門の前で写真撮影 中央2列目が宮﨑さん(2005年世代)

宮竹 祝福のことばとか、激励の言葉とか、あたたかい言葉をかけてもらって、練習の励みになりました。

 

宮﨑 僕たちの時代はグラウンドに地域の方が入って来られていて。

 

宮竹 そうだね、来られていたね。

 

宮﨑 少しだけグラウンドが賑やかになって、「ああ喜んでいただいているな」と思いました。また、地元の自治会の方が渦井川に横断幕を作ってくれたのが嬉しかったです。

地元の自治会から祝福の横断幕 (2005年世代)

後編はコチラから

 

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