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「監督に鍛えられ、周桑っ子が掴んだ初の甲子園」 ~丹原高校編~ 【後編】

丹原高校編 前編はコチラから

#中日の大エースからのプレゼント

地元の期待を背負って甲子園へと出発した丹原高校は組み合わせの結果、初戦(2回戦からの出場)の相手は青森県代表の光星学院(現:八戸学院光星)と決まりました。「光星学院も当時は無名だったので知らなかった。ただ、丹原高校も無名だったので、当たった瞬間、向こうは盛り上がっていた。(笑)」とお互い第一印象は薄い様子でした。

※当時、初戦は近隣県が当たらないよう東西制が採用され、最初に丹原(1塁側)が引き、後から光星学院が引く順番でした。

宿泊場所は兵庫県尼崎市にある「尼宝館にほうかん」です。(※現在は閉店。)「民宿みたいな感じで良かった。」とおばちゃんがご飯の切り盛りをしてくれるなどお母さん代わりとして民宿ならではよさを感じたそうです。

また、現地ではある方からのサプライズプレゼントもありました。

「野口(茂樹)先輩から新品のスパイクと激励の言葉をいただいたんです。」

当時中日の大エースとして活躍していた野口投手からのプレゼントと激励のことばに丹原高校ナインは大奮起。8月8日(火)の開会式では全員がそのスパイクで入場行進しました。

野口先輩からいただいたスパイクを履いて、開会式の入場行進

開会式終了後は試合の6日目まで空くことになりました。

「本音は2日目、3日目がよかった。正直長かった。長くなるほど怒られる機会も増えますし。(笑)」

「とにかく練習場が毎日変わるんで、移動をよくしていた記憶があります。」

プライベートは「旅館の周りを散歩するか、外で素振りするかでした。」と遊びに行くなどの時間はなかったようです。

8月13日(日)、いよいよ待ちに待った初戦です。まずは初戦突破が目標です。

 

#丹原町が甲子園のアルプスに移動!?

渡邊さん

第3試合での登場。じゃんけんに負け先攻となりました。

「(絞り出すように)・・緊張はしていたと思います。(渡邊)」

「勝っても負けても(高校野球人生の最後が甲子園で)最高の終わり方なんやな、緊張はしてたんやけど、そこまででした。(木原)」

と、緊張の度合いもそれぞれです。

当日は丹原から大勢の人が駆け付け、

「こんなに丹原町に人おったんかな(笑)、丹原がすっからかんになったんでは。」

とアルプスは超満員。

OBの方が、前にいる小学生に「『かちわり※』買うたろ、何人おんねん。」というと、かなりの行列となったそうで、アルプスはお祭り状態でした。こうしたアルプスからの熱気がナインの背中を押してくれました。

※かちわり氷・・袋に詰めた氷で身体を冷やしたり、飲んだりする夏の甲子園名物商品。

木原さん

ゲーム序盤は相手投手を打ち崩し、5回表を終わり6-2とリード。打線は甲子園でも活発です。「次も試合できるかな・・」と少しだけよぎりました。ただ、徐々に追いつかれ、7回裏に逆転されましたが、8回表に再逆転を果たし勝ち越し。しかし、8回裏に再度逆転されました。

「相手は県大会で調子のよかった2年生の山田が来ると思っていたらしくて、その対策をしていました。先発は左の梶本で向こうもタイミングもあってなかった。継投はうちのパターンなので、それで予選も勝ち上がってきたので、結果はしょうがないと思ってます。」

壮絶なシーソーゲームの末、最終回も木原さんがヒットを放ち、粘りをみせましたが、8-10で敗戦。「1勝はしたかった。」と悔しさはあるものの、後に早稲田大やプロ野球でも活躍する相手投手を打ち崩し、毎回の18安打は、打率1位のとおりの実力を発揮して、甲子園の歴史に名を刻みました。なお、光星学院はその後、ベスト4まで勝ち上がりました。

チームは翌日、甲子園で試合を観戦し、丹原に帰還。

「次の日にはカラオケに行きました(笑)。」「とにかく遊びたかった。」「甲子園も見てなかった。」と入部後、野球漬けだった身から解き放されて、ついに訪れた自由の身。卒業までの残り半年間、遅れてきた青春時代を過ごしました。

 

#ふるさと西条への思い

渡邊さんは高校卒業後、大阪の大学に進学。大学でも野球を続け、卒業後愛媛にUターンしました。一方、木原さんは高校卒業後、地元の企業に就職し、企業の軟式野球部に所属して野球を続け、また少年野球の指導や母校の手伝いにも顔を出しております。

西条での生活のよさを聞いたところ、

「住みやすい、ほんとに住みやすいです。(木原)」

「大学時代過ごした、大阪の町も人も大好きなので、大阪の生活にも憧れていましたが、結婚して、子どもを育てていくには、海も山も近い、また田舎なので地域の繋がりがある。地元を選んで良かったと思っています。(渡邊)」

と、充実した西条での生活を過ごしているそうです。

また、「野球人口が減っているので野球人口を増やして中学高校と続ける子供たちの背中を押していきたいです。(木原)」、「松山の私立が台頭しているが、小松、丹原、西条など強くなったら西条市も盛り上がりますね。(渡邊)」と野球を通じて母校や地元西条を盛り上げていきたいと語ってくれました。

お二人に取材をしていると、一番盛り上がったのは井上監督のお話でした。厳しいなかでも愛情のある井上監督への感謝の気持ちが伝わってきました。

「理想は井上監督が定年後もう一度、自分の息子を丹原で指導してもらったりするのが、夢でもありますね。(渡邊)」

最後に高校球児に一言エールをお願いしました。

「コロナ禍で不自由していると思いますが、悔い残さず、今やれることを一生懸命やってほしいです。」

野球に全ての青春を捧げた当時の甲子園球児は、成長し、次世代を育てるよき父としてこのまちで今も輝いています。

渡邊さん(左)と木原さん(右)

 

 

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