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若者も誇れるまちに。 日本最大級のDIY野外フェス仕掛け人

2014年、愛媛県西条市に誕生した新しい野外フェスは、「STONE HAMMER.fes(ストーンハンマーフェス)」(以下「ストハン」)と名付けられ、以来、西条市民はもちろん、出演するアーティストの方にも愛されるイベントに成長しました。「ストハン」は、スタッフのほとんどがボランティア、ステージも手づくり、立並ぶテントには市内の小中学校名が入っているという、西条市民によるオール手作りのイベントです。
イベントの発起人であり、実行委員会委員長の安田光孝(やすだみつたか)さんに、ご自身のこれまでの歩み、「ストハン」にかける想いやイベント立ち上げまでに至る経緯を伺いました。

 

#1 安田、音楽と出会う。

西条市で生まれ育った安田さんは、父親の影響もあり、ごく普通の野球少年として育ちました。地元の野球チームに所属し、休みの日には友達と近所の駄菓子屋さんや公園で遊ぶ。「スケボーやヨーヨー、80年代は、いろんなものが生まれていい時代だったと思います。そういえば、あの頃、レコードからCDに代わったかな」と当時を懐かしそうに振り返ります。
彼に転機が訪れたのは中学2年の時。
「自分ではホームランだと思った当たりがいつもセンターフライになっちゃうんですよ。」元々、身体が小さかった安田さんは、このまま自身が野球を続けることに限界を感じていました。真剣に取り組んできたからこそ、見えてきた自身の限界。両親がショックを受けている中、安田さんは野球を諦めました。
これから何をやろうかと考え、クラスメイトに誘われてレンタルレコード店に通い始めました。音楽に関しては、元々聴くこと自体は好きだったという安田さん。
それから毎日、レコードを借りて帰るようになり、気が付くと店に置いてあるレコードは、ジャンルを問わず「全て」借り尽くしていました。

 

#2 安田、プロデビュー。波乱に満ちたプロ生活。

高校生になってバンドを結成し、音楽活動もいよいよ本格化。
「野球の時もそうでしたが、僕はいい意味であきらめが早いんです。最初はギターをやりたかったし、自分の声にコンプレックスがありましたが、ボーカルを選びました。でも初めて立った自分が歌うステージで、すっかりその快感の虜になってしまいました。」
安田さんの噂は瞬く間に口コミで広がり、高校2年の時には松山市内でのフェスやラジオ出演、都内の音楽事務所のスカウトも次々に訪れ、駅で出待ちのファンや追っかけがいることも。高校卒業後の進路にまったく迷いはありませんでした。

安田さんは18歳で上京し、バンド「str@y」のボーカル「hikaru」として翌年プロデビュー。プロミュージシャンになるまでの歩みは順調すぎるものでした。安田さんとの契約をめぐって大手の音楽会社11社が争奪するなど、「お金を引っ張ることができる存在」として音楽業界内で認知されていきます。
ところが、音楽への情熱に反し、色々な人と仕事を重ねていくうちに、安田さんは、だんだん心を閉ざしてしまったと言います。
「若い頃はお金になるんじゃないか?と、いろんな人が近寄ってきました。僕らを事務所に入れておけばレコード会社から契約金がもらえるという仕組みです。でも契約金もらったとたん失踪したりする人がいたりして、10代後半から20代前半くらいまでに、見たくもない、人の汚い部分をたくさん見てしまいました。」
安田さんは人間不信に陥り、所属していた事務所も辞めて独立。やがて周りの誰とも交流を持たなくなってしまいます。恩師である、故・佐久間正英氏と出会ったのは、そんな時期でした。

 

#3 安田、恩師と出会う。そして引退。

レコード会社と契約するプロのミュージシャンにはプロデューサーが就くのが主流と言われる中、「自分たちの音楽には一切手出しさせない」という、異例の条件で契約していた安田さんは、佐久間さんにプロデュースしてもらってほしいという会社からの要望を、当時は渋々受け入れたと言います。佐久間さんは伝説のロックバンド「BOOWY」も手掛けた超売れっ子でしたが、安田さんがこれまで接してきた「大人」とは違っていたと言います。

恩師である故佐久間正英さんと

「佐久間さんは、それまで僕が接してきた人とは違っていました。仕事相手としても信頼でき、タッグを組むことができました。プライベートでもよくご飯にも連れて行ってくれたり、一緒に遊んだりして、年は離れていたけど友達のように接してくれました。」
信頼できるパートナーを得た安田さんでしたが、それから3年後、突如として音楽界を引退してしまいます。
そのころ、レコード会社から契約更新を提案されていましたが、このまま続けていくことに疑問を感じるようになっていたそうです。
「自分で事務所をやっていると次の作品がどのくらい売れるか、制作費やなんかで、予想できるんです。結果がわかっていることを続けるのはつまらないと感じていました。」
鬱屈した中での活動の中、ある日、実家からの電話で母親の病気の知らせを受けた安田さんは、きっぱりと音楽を辞め、実家に帰る決意をします。
安田さんは誰にも相談することなく、雑誌の取材中に突如解散宣言しました。周囲が慌てる中、消滅カウントダウン企画や赤坂での消滅パーティーを開催。家業であるガス会社を継ぐ決心をして実家に帰ります。
「こうでもしなければ、辞めることはできない」という想いで、持っていた音楽関係の機材は全て焼却しました。
引退した安田さんは以来、一切音楽との関わりを絶ち、佐久間さんとも一切連絡を取り合うことはなかったそうです。
やがて引退から12年の歳月が経ち、安田さんは40歳を迎えていました。

ミュージシャンとして活動していた当時の安田さん

 

#4 安田、復活!ストハン開催まで。

きっかけは、安田さんが所属していた地元の商工会議所主催の会合でのこと。余興でギター演奏を頼まれたことからでした。
「周りの人は、僕が昔バンドやっていたのは知っていてもプロだったことを知る人はもういませんでした。ところが、その会合に僕のファンだったという方がいたんです。その時に『余興で復活とするのはファンに申し訳ないな』と感じました。」
固い決意をもって音楽から身を引いていた安田さんでしたが、少しずつ気持ちが揺らぎ始めていたある日、運命を変える一本の電話がかかってきました。
佐久間さんからでした。相変わらず当時も売れっ子だった佐久間さんでしたが、自身の会社立ち上げに際し、こけら落としのイベントにスペシャルゲストとして出て欲しいとのこと。
「まず、覚えてくれていたのがうれしかったです。もう10年以上も話してなかったし、佐久間さんにとってはたくさんいるうちの一人にすぎないと思ってたから。早速、イベントをネットで調べてみると、既に僕の名前が出てたからびっくりしたんですけど。」
こうして安田さんは12年振りに佐久間さんと再会します。その時にも佐久間さんから「趣味でもいいからもう一度音楽をやれよ」と誘ってくれたと言います。
「これまで不義理を働いていた佐久間さんや、自分を忘れずに応援してくれていたファン、そして音楽に対する恩返しをしようと思いました。」
安田さんは音楽への復帰を決意。2014年の2月、佐久間さんと一緒に開催する東京でのイベントが復活の舞台になりました。
しかし、そのイベントを開催する直前、佐久間さんは亡くなってしまいます。

「俺のこと引き戻しといて、いなくなっちゃうのかよ。」

イベントは予定どおり開催しましたが、安田さんは恩返しする人を失ってしまい、「何か返したい、自身にできることは何なのか」を問いかけていました。恩を返せなかった佐久間さん、お世話になった先輩たち、応援してくれたファン、そして音楽に対して。
そんな時、地元の仲間との飲み会の席で「自分たちで手作りの野外フェス」をやろうという話が持ち上がります。そして2014年8月、第1回の「ストハン」が開催されました。佐久間さんが亡くなられて、まだ半年のことでした。

「ストハン」の会場である西条市西条運動公園

 

#5 おい、安田!台風がきたじゃないか

夏に開催される野外フェス自体は珍しいものではありません。しかし、会場のテント設営やチケットのもぎり、場内の清掃、アーティストを歓迎するウェルカムパーティの準備に至るまで、すべてが市民手作りで開催するフェスはここしかないと安田さんは胸を張ります。
「ステージに立ったアーティストが、客席に並んでいる地元小中学校の名前が入ったテントを見ると、『本当に手作りなんだと感動して涙が出そうになる』と言うんです。『DIYの野外フェス』では、日本最高峰じゃないの?とよく言われます。僕もそう思います。」
「ストハン」は、西条市民はもちろん、出演するアーティストの方にも愛されるイベントとして回数を重ねていきました。
ところが、2018年に節目である5年目を迎えた「ストハン」でしたが、台風の接近により中止にせざるをえませんでした。
「当然、アーティストは呼んでいる、セットは既に設営済みだから、収支的にも大赤字です。でも、アーティストも『来年呼んでくれるなら、キャンセル料はいらない』って言ってくれて。そんなみなさんのご厚意でギリギリなんとかなりました。」と安田さん。
また、実行委員会メンバーからの発案で、前日と当日には、イベントに出店予定だった店舗を寄せたパーティーを開催。パーティーのチラシには「おい、安田!台風がきたじゃないか」のコピーが。

イベントは地元酒屋の倉庫で行われた

「実行委員会のメンバーは本業じゃない、趣味や得意なことでも力を発揮してくれて、イベントもどんどん洗練されて本当にすごいことだし、うれしいですね。去年中止だった分、今年は更に飛躍させてないと。」

 

#6 安田、まちへの想いを語る。

「『ストハン』は、音楽を地元の若い子へ届けたいという想いもありますが、『子どもの頃の自分自身に』という気持ちがあります。もし、自分が子どもの頃にこんなイベントがあったら良かったな、もっとこのまちが好きになって誇りを持っていたかもしれないと思いました。このイベントをやっていて一番うれしいのは、県外に今出て行っている人たちから、『自分の地元にこんなすごいイベントがあって誇りに思います』って言われたことですね。いつか西条市と言えば『石鎚』、『水』、『西条祭り』、そして『ストハン』と言われるようにしたいです。」

手作りのイベントを開催することは、「まちへの誇り」にも繋がると気づいた安田さん。最後にまちへの想いを語っていただきました。

「若い時は田舎だと感じていましたが、帰ってきたら全然印象が違っていました。何でも充実しているし、ちょうど良い田舎なんじゃないかな。住んでいる人たちのキャラも立ってるし。実際は何かに反発するような強い個性たちがまとまって、大きな力を生み出していると感じます。酒を酌み交わせば大体のことはチャラになる。これが祭り気質ですかね。」
音楽のイベントである「ストハン」は、まちをひとつにする大きな旗印として掲げられ、これからもまちへの誇りを生み出していきます。

 

#7 STONE HAMMER.fes2019

STONE HAMMERとは、西条市に雄大に聳える西日本最高峰の霊峰 石鎚山にちなみ、STONE(石)HAMMER(鎚)と名付けられました。
スタッフのほとんどがボランティア、イベンターもいなければ、ステージも手づくり、費用はチケット代と協賛金や出店料、何なら立並ぶテントは学校名が入っています。
しかし、フェスはプロアーティストと地元のアマチュアアーティストが2ステージをフルに使って聴かせる!一日中音が鳴りっぱなしの熱いフェスに仕上がっています! また、会場では自慢の飲食店や物販のお店が出店しており、愛媛のうまいもの、地元ならではのもので目一杯楽しんじゃって下さい!
このイベントはこの地の音楽文化を掘り起こし、刺激されたプロアーティストが生まれる事、また音楽を通じて西条を知ってもらう事、そして参加して頂いたアーティスト、スタッフ、そして何より来て頂いた皆さんに楽しんでもらう事を目的としています。
手づくりが故に様々な方のご協力でSTONE HAMMER fes.は成り立っています。5回目となる2018年は誠に残念ながら台風直撃による荒天にため、開催中止を余儀なくされました。しかし、応援してくださる多くの企業様、関係業者様のご協力により今年も開催できる運びとなりました!今まで以上に感謝し、ご来場の皆さんに恩返しできるようSTONE HAMMER fes.2019開催に向けて全力をかけます!また皆さんにお会いできる日を心待ちにしております。
STONE HAMMER実行委員会 一同(STONE HAMMER fes公式Webサイトより)

STONE HAMMER fes公式WebサイトURL
http://shf.wpms.jp/index.html

STONE HAMMER fes公式フェイスブック
https://www.facebook.com/stonehammer.saijo/

この記事を書いた人
Co-あきない宣言 編集部

Co-あきない宣言 編集部

Co-あきない宣言の編集担当です。 西条市では、市内で働き、輝いている市民をストーリー化して発信することで、西条市をPRしております!まだまだ不慣れですが、頑張ってシリーズを重ねてまいりますので、是非ご覧ください。

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